竹は、地下で5年育つ
「遅い」は、遅れではなかった
子どもの育つペースは、一人ひとり違う。きっと、どこの家でもそうだと思います。
それでも、わが家の3人を見ていると、あらためて驚くのです。同じ親から生まれて、同じ家で、同じごはんを食べているのに、ここまで違うのか、と。
長男は、3歳まで話しませんでした。療育に通い、周りの子がすらすら話すのを横目に、私は何度も「どうしてうちだけ」と思ったものです。長女は逆で、なんでも早い。おしゃべりも、字も、友だちづくりも。そして2歳の次男は、人生を4、5回は経験してきたかのような落ち着いた空気をまとって、なんでも自分でやりたがります。
きょうだいでこれだけ違うのだから、ペースは育て方の結果ではない。それは分かっています。
でも最近、もう一歩先のことを考えるようになりました。
この「成長のペースの違い」は、もしかして、親に何かを気づかせるためのメッセージなんじゃないか、と。
竹の話
竹は、植えてから5年ほど、ほとんど地上に出てこないそうです。
その間、何をしているかというと、地下で根を張っている。来る日も来る日も、見えないところで根を広げて、あるとき一気に、数か月で何メートルも伸びる。
3歳まで話さなかった長男は、いま思えば、あれは遅れていたのではなく、地下の時間だったのだと思います。話し始めてからの言葉の増え方、そしていま、朝4時に起きてマインクラフトに没頭する集中力。あの数年間、根っこはずっと育っていた。
でも当時の私には、それが見えませんでした。見えていたのは、よその子との差だけでした。
メッセージは、子どもにではなく親に届く
もし子どもたちがみんな同じペースで育ったら、どうなるか。
親は、安心して比べ続けると思うのです。標準より早いか、遅いか。何歳で話したか、何歳で読めたか。物差しが一本で済んでしまうから、その一本を、疑わずに使い続ける。
ペースがバラバラだと、その物差しが折れます。
長男のペースで長女を測れば、長女の頑張りが見えない。長女のペースで長男を測れば、長男の根っこが見えない。3人育てて、私はようやく、測るのをあきらめました。
あきらめたら、見えるものが変わりました。
「どこまで進んだか」ではなく、「この子は、いま何に夢中か」。順位ではなく、根っこ。成長のペースの違いは、子どもに向けた試練ではなく、親の物差しを折るために届いた、メッセージだったのかもしれません。
比べるなら、半年前のその子と
とはいえ、比べるなという話ではありません。比べることそのものは、成長を見つける立派な道具です。
問題は、比べる相手です。
なので、提案はひとつだけ。
よその子とではなく、半年前のその子と、比べてみる。
半年前にできなかったことで、いまできることを、ひとつ探す。靴が履けた、ひらがなが読めた、「かして」が言えた。なんでもいい。
よその子と比べると、足りないものが見つかります。半年前のその子と比べると、育ったものが見つかります。同じ「比べる」なのに、見えるものが正反対になる。
地上に出てくる日は、竹が決めます。親にできるのは、地下の時間を、根っこが育つ時間だと信じて待つことだけ。
成長のペースの違いというメッセージを、私はそう受け取ることにしました。
子は、親をうつす鏡だと言います。思い返せば、子どもたちから届くメッセージは、いつも私自身の行く末も導いてくれていました。長男が地下の時間にいるあいだは、私も仕事のスピードをゆるめて、そばにいる時間を増やす。子どもたちがそれぞれの流れで走り出したら、私も思い切ってアクセルを踏む。そのとおりにブレーキとアクセルを踏み分けてきたから、わが家はここまで来られたのだと思います。
そして、こうしたメッセージは子育てに限らず、仕事にも、暮らしにも、いろんなところにちりばめられているはずです。皆さんは、そういったメッセージをどんな形で受け取っていますか?よかったら、コメントで教えてください。
今日も、楽屋裏から。
ちっくん



ちっくんさん、こんにちは😊
うちも上の子が3歳まで話さず、そのほかにもいろいろあり療育に通っていました。
下の子は上の子とは本当に違っていて、「きょうだいでも、こんなに違うんだ」と今だに感じる毎日です😅
「竹は地下で5年育つ」というお話、とても心に残りました。親はつい目に見える成長を追いかけてしまいますが、見えないところで育っている時間を信じて待つことも大切なんですね✨
少年サッカーの現場にいますが、同じ学年でも成長スピードに差があって、みんなを同じように扱うよりみんなそれぞれが過去の自分より成長できるようにと意識してやっています。
練習だと一人で10~15人程度見ないといけないので難しい部分もありますが、そういう経験を通じて自分も成長させてもらってると感じています。