種は、握らない
手をかけないのは、いちばん手間がかかる
「手をかけない子育て」と聞くと、少しドキッとしませんか。
手抜き、放任、愛情不足。そんな言葉が、すぐ後ろに並んでいる気がして。
でも最近、わが家で気づいたことがあります。手をかけないのは、実はいちばん手間がかかる、ということです。
「やってあげる」ほうが、ずっとラク
たとえば、朝の支度。
末っ子が自分で靴を履こうとすると、左右が逆になり、かかとが潰れ、玄関で3分が過ぎます。私が履かせれば、10秒です。
宿題もそうです。長男の隣に座って「次はこれ、ここが違う」と言えば、30分で終わる。口を出さずに待てば、1時間たっても終わらないこともある。
つまり「手をかける」は、子どものためのようでいて、半分は親の時短なんですよね。急いでいる朝ほど、私はつい手を出します。あれは愛情というより、効率です。
逆に「手をかけない」は、待つ時間、見守る我慢、失敗の後始末まで、ぜんぶ親が引き受けることになる。かかっていないのは手だけで、目と心は、むしろ倍かかっています。
手は離す。目は離さない
だから私は、「手をかけない子育て」を、こう言い換えるようにしています。
手は離す。目は離さない。
3歳まで話さなかった長男が、いま朝4時に自分で起きてマインクラフトに没頭しているのは、私が何かをしてあげたからではありません。むしろ、やめたからです。「早く寝なさい」「先に宿題」と流れをせき止めるのを、やめた。
長女のレジンも同じです。机が散らかっても、材料費がかさんでも、口を出さない。すると、誰に言われなくても、すうっと夢中の世界に入っていく。
親が手を出した分だけ、子どもが自分で試す回数は減ります。手をかけないとは、子どもから「試行錯誤の機会を奪わない」ことなんだと、いまは思っています。
今週、ひとつだけ「やめて」みる
とはいえ、いきなり全部を手放すのは、親のほうが持ちません。私も無理です。
なので、提案はひとつだけ。
毎日子どもにやってあげていることを、ひとつだけ選んで、一週間やめてみる。
靴を履かせるのでも、水筒の準備でも、宿題の丸つけでもいい。ひとつだけ、そっと脇にどく。最初の数日は、たぶん見ていられません。時間もかかるし、失敗もします。
でも一週間たつと、子どもは案外、自分の流れを見つけます。そして親は、「手をかけないでいられる自分」に、少しだけ自信がつく。
過保護という言葉が生まれてから、まだ50年ほど。子どもが勝手に育つ時間のほうが、人類の歴史では、ずっと長かったのですから。
種は、握りしめた手の中では芽を出せません。土に置いて、手を離す。そこからが、育つ時間です。
今日も、楽屋裏から。
ちっくん



手は離す、目は離さない、これができると、めっちゃ楽になりますね。
私はできなくて、昔はムキーってなってました。
自分でもやろうと思ったことはありましたが、なかなかうまくいかなかったですね。
自分はやりたいと思っても、子供に一番手のかかる奥さんからしたら「何言ってるの」ってなることも。